ヤギのウェッブ 1


ヤギ(山羊、野羊)は、広義にはウシ科ヤギ属 Capra に属する動物の総称。一般的には家畜種を指すことが多い。ヤギ属には全部で7種が含まれるが、一般的にはベゾアールまたはパザンと呼ばれるノヤギ C. aegagrus を家畜化した亜種の C. aegagrus hircus が、古来人間に利用されてきた。ユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて広く分布する。

日本語名の「ヤギ」の語源は、「羊」の朝鮮漢字音「ヤン/ヤング(yang)」、または「野牛」(やぎゅう)が転訛したものという説がある。
ヤギはウシ目(偶蹄目)ウシ亜目(反芻亜目)ウシ科ヤギ属に属する。ヒツジとは属を異にする近縁種であり、共通した性質も多い。染色体は60本。

体重は種にもよるが、野生種ではオスで80kg前後、メスで55kg前後。体高は80cm前後。妊娠期間は約150日。出生児の体重は母体の栄養条件に大きく影響されるが、1.5~7kg。単子か双子で生まれる。乳頭は2つある。ウシよりは双子の率が高い。発情期を迎えるのはメスで6~8か月齢、オスで5~7か月齢。発情周期は平均20日、発情期の持続は38時間程度。発情期は日本では8月中旬から2月下旬。気候によっては年中繁殖を行うことができる。寿命は16歳前後。

角の有無も種によるが、野生種は角をもつ。角の形状と湾曲の仕方で、大きく4つに分類することができる。C. a. hircusの角はまっすぐか、よじれる。C. aegagrusでは横断面が平たい三角形で、後ろに湾曲する。マーコールヤギでは前方から見ると V 字に開き、コルク栓抜き状にねじれる。アイベックスでは後方に反り、前方に等間隔の結節が見られる。家畜種のザーネン種は無角で、額にわずかな隆起がみられる。ヒツジには眼下腺や蹄間腺などの脂肪分泌腺があるが、ヤギにはない。一方、多くの種のヤギのオスには、ヒツジにはないあごひげが見られる。


ヤギの食性は幅広いが、粗剛なイネ科の草本を好んで食べる。また、ヒツジが草食(グレイザー)なのに対してヤギは芽食(ブラウザー)であり、草よりも低木樹の葉を好む。ヤギは4つの胃をもち、反芻胃(ルーメン)内に生息する微生物の働きにより、麦わらや枯葉のようなものまで餌とすることができる。また、水分の排泄を抑制する機構をもつため、砂漠などの劣悪な環境でも生き延びることができる。さらに、反芻動物の多くは芳香のある植物を嫌うが、ヤギはこれを食べる。なお、ヤギに紙を与えることは避けた方がよい。後出の「ヤギは本当に紙を食べるか」を参照。

ヤギは通常、群れを作って生活し、野生種における群れのサイズは平均3~24頭。なわばり性は認められていない。オスはオス同士、メスはメス同士と子と群れを作る傾向がある。ヒツジは定住するのに対し、ヤギは長距離を移動する傾向がある。オスは後脚で立ち上がり、強く頭をぶつけあい、頭突きによって群れの中での順位を決める。ヒツジは後ずさってから突進する形をとる。ヤギは家畜として古くから飼育され、用途により乳用種、毛用種、肉用種、乳肉兼用種などに分化し、その品種は数百種類に及ぶ。ヤギは粗食によく耐え、険しい地形も苦としない。そのような強靭な性質から、山岳部や乾燥地帯で生活する人々にとって貴重な家畜となっている。ユーラシア内陸部の遊牧民にとっては、ヒツジ、ウシ、ウマ、ラクダとともに5種の家畜(五畜)のひとつであり、特にヒツジと比べると乾燥に強いため、西アジアの乾燥地帯では重要な家畜であり、その毛がテントの布地などに使われる。ヤギの乳質はウシに近く、乳量はヒツジよりも多い。明治以降、日本でも数多くのヤギが飼われ、「貧農の乳牛」とも呼ばれたが、高度経済成長期を境として減少傾向にある。しかし、近年ではヤギの愛らしさ、粗放的飼育に耐えうる点等が再評価されつつある。これを受けて、ヤギ愛好者・生産者・研究者が一堂に会する「全国ヤギサミット」が年に1回開催されており、年々盛況になっている。

[編集] 家畜化の歴史

ヤギの家畜利用が始まったのは、新石器時代の紀元前7千年ごろの西アジアであろうと考えられる。このころの遺跡からヤギの遺骨が出土しているからだ。もしそうなら、ヤギの家畜化はイヌに次いで古いことになるが、野生種と家畜種の区別が難しいため、その起源については曖昧な点が残る。前出のベゾアール Capra aegagrus が主要な野生原種と思われるが、ほかに、同じく高地に住むマーコール C. falconeri やアイベックス C. ibex なども関与しているかもしれない。


はじめに搾乳が行われた動物はおそらくヤギであり、チーズやバターなどの乳製品も、ヤギの乳から発明された。乳用のほか、肉用としても利用され、皮や毛も利用される。群れを作って移動するヤギは、遊牧民の生活に都合がよかった。肉や毛皮、乳を得ることを目的として、遊牧民によって家畜化され、そのことで分布域を広げていったと考えられる。農耕文明においても、その初期には飼育がなされていたが、遊牧民ほどは重宝しなくなった。ヤギは農耕そのものには役に立たず、ヒツジの方が肉や毛皮が良質であり、また、新たに家畜化されたウシの方が乳が多く、農作業に適していたからである。ただし、現在でも多くの品種のヤギが飼育されている。宗教上ウシやブタを利用しない文化においても、重要な家畜とされる。子ヤギ(キッド)の革は脂肪分が少なく、現代でも靴や手袋を作るのに用いられるが、西洋では12世紀以降、4-6週の子ヤギの革が、羊皮紙の原料としてヒツジ革と競った。

ヤギは粗食に耐えることから、18 - 19世紀の遠洋航海者が重宝して船に乗せ、ニュージーランドやオーストラリア、ハワイなどに持ち込んだ経緯がある。ペリー艦隊も小笠原諸島などにヤギを持ち込んでいる。日本にはもともと野生のヤギは存在しておらず、比較的最近になって、朝鮮半島または南方から持ち込まれた。明確な時期は不明だが、江戸時代ごろとされる。1775-1776年に蘭館医師として日本に滞在したスウェーデン人ツンベルグ(トゥーンベリ、1743年-1822年)は、「彼らはヒツジもヤギも持っていない」と記している。ただし琉球王国では、江戸時代より前に伝来していたようである。また、後述のシバヤギは、キリシタン部落と呼ばれた集落で飼われ、隠れキリシタンの貴重な食料源となっていたとされる。

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